PRAN君>
四次元を俯瞰できる必要はないです。
まず本当に三次元を俯瞰できているのか?
というか俯瞰するということ自体二次元的です。
まず見るということがそもそも二次元的ですよね。
視覚情報は二次元的であり三次元ではありません。
三次元なら把握(または理解)するという表現の方がいいのではないでしょうか?
三次元を把握すということは視覚情報の他に触覚などの情報が必要になってきます。
そうなると個人というものを抜け出して三次元世界を把握できるのはおそらくアカシックレコードだけです。

つまり我々では三次元を把握しきれない。
よって我々の存在次元においての俯瞰可能の必要性はないといえます。

というか途中で何を言いたいかわからなくなったw
思うに時間の不可逆性が自分らが四次元に存在していると証明してると思うよ。

この世界が四次元と認めるなら世界の一部でしかない自分らも四次元で存在してるって言えますよね。

そオタ用語としての二次元と三次元を分けるって言うこと自体がただのネタで、その定義がそもそも違いますよね。
つまり仮想性と現実性。